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ミシェル・ウエルベック誘拐事件

ミシェル・ウエルベック誘拐事件
 

ギョーム・ニクルー/2013/デジタル/92分(フランス)
  
2011年9月16日。テレビの報道番組から新聞、ブログ、ウェブサイト、ラジオ局に至るまでがある一つのニュースを報じていた。伝えられるところでは、権威あるゴンクール賞を2010年に受賞した人気作家ミシェル・ウエルベックが誘拐されたらしい。メディア関係者の中には、アルカイダが関与する可能性を示す者まで現れた。続く数日間、このニュースは文学関係者の間に波紋を広げ、激しい議論や憶測を呼んだ。
ミシェル・ウエルベック。彼はいったい何者なのか。優れた著述家? 偉大な作家? そんな説明では足りないだろうか。世界中で最も読まれている存命中のフランスの作家? 最も嫌われ、最も尊敬される書き手? 彼は、我がフランス文学に名だたる「恐るべき子供たち」の系譜—アルトー、セリーヌ、ジュネ、グラック—に並ぶに値するだろうか?
クリスチャン・メッツの映画理論以来受け継がれる「すべてのドキュメンタリーはフィクションである」という論に従うのであれば、『ミシェル・ウエルベック誘拐事件』はおかしな犯罪実録ものといううわべをまとったポートレート作品だ。ストーリーを語ること、そしてニュースのトピックを出発点とした入れ子構造になっている。
彼の誘拐が引き金となり、表面上にあるものが剥がれ落ち、さまざまな方法が示され、それらを通した内省が始まる。実在の作家が、フィクションの中の作家になる実験の場で、彼を覆う膜や多様な側面が文字どおり剥がれてゆく。自分自身を裸にするために、彼は潜在的な真実として、嘘を使う。
コメディに多面的な輝きを与えるプリズムとしての人の生きざまを通して、「迎え角」から対象に焦点を当てる本作は、対照的な信念を持つ異なる世界での考え方や観点を比較し、向き合う機会を与えてくれる。それはミシェルの世界であり、彼の世界と彼を誘拐しかくまう人々が持つ世界だ。観客の私たちは、より大きな問題に対するうちにそうしている。例えば芸術的創造、恐れ、ポーランド、宝くじ、生まれ変わり、ヨーロッパの融合、ニーチェ、武器、バイアグラ、建築、総合格闘技……。
この物語を通して明らかにしたかったのは、おもしろくて繊細で、辛辣なウィットに富み、疑い深くてナイーブで、意地悪で心配性で、知的で愛のある作家の姿である。そんな男にはなかなか会えない、というような人物だ。
本作最後のサプライズに乗じて言えば、『ミシェル・ウエルベック殺人事件』は作家になんかなりたくなかった男、むしろレースカーのドライバーになることを望んでいた男のポートレートでもある、と言えるかもしれない。(ギョーム・ニクルー)
 

ギョーム・ニクルー

1966年フランスのムラン生まれ。パリの劇団で演出家・俳優として活動。1988年に長編映画監督としてデビュー。フェミス(国立映画学校)で10年間にわたり教鞭をとっているほか、執筆も行う。主な作品に『Les Enfants volants』(90)、『ストーン・カウンシル』(05)、『La Religieuse』(13)、『The End』(16) など。
 

上映日

東京:4/29 11:00, 5/6 21:15 プログラム M

 
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