プログラム

松前君の映画

松前君の映画
 

大木裕之/1989/8ミリ/180分
   
「君がいて、ぼくがいて、映画がある」
『松前君の映画』は二部構成になっていて、導入部の第一部は「非松前に於ける松前君」というタイトルのもとにまとめられているが、これが駅のブリッジで待っている女の子に向って行くと、その子がカメラを持っている当人に向って「松前君」と名指す、とカメラを女の子に渡して自分を撮ってもらい、Tシャツの胸に「松前」と刷ってあるのを示す、というカットの繰り返し、それに離れた二つのプラットホームのこちらから向うへ、向うからこちらへと行ったり来たりするシーンになって、導入部は終る。ここで「彼」は「松前君」になるというわけであろうか。一種の命名の儀式ということであろう。そして、第二部の「松前君の映画」へ展開する。つまり、松前町での「彼」の「映画行動」の記録となる。しかし、松前町に行って「何か」を撮るという目的があったとは見えない。旅館の一室から窓の外を撮る、室内のテレビなどを撮る、外に出て何とはなく街の風景を撮る、部屋で自分を撮る、カメラを廻しながらマスターベーションをして、その自分の男根を撮る、そのカメラを夕暮れの街に向け、鏡に映る自分を通って、射精する男根へ戻す、といった具合に、自分を撮るというところではどこか儀式めいた行為を重ねながら、町の中を、最初は表通りとか公園の城とかそんなものしか撮れなかったのが裏通りでも撮れるようになり、町の人の姿が撮れなかったのが、ようやく中学生と親しくなって、町の人たちの顔まで撮れるようになるという、町との関係の心理的変化が映像の上にあらわれてくるという映画の展開になっているというのだ。最後に、親しくなった中学生を自分の部屋に連れて来て撮りながら、またその少年に撮ってもらいながら、「君がいて、ぼくがいて、映画がある」と当人が口にするところで、一つの到達点に至って終るのである。当人が町の床屋に行って髪を刈ってもらってから、何と当人の顔付きまでが松前の顔になってしまうのだ! 「松前君」と命名された当人が松前にやって来て、松前の人と関係を持ち、その土地での共通した何かを得たというわけであろう。映画を行動することによって、現実の人間や事物が出現して来たということである。大木裕之の『松前君の映画』の成立は、現実に何かが起こっているからそこに行ってそれを映像にするというドキュメンタリーや、観念を具現するのに最も適したものがあるからそこに行ってそれを映像にするというストーリーフィルムなどとは、現実と映像との関係が逆転したところにあるといえよう。ここに、この映画の尖鋭的な問題性があるのだ。

鈴木志郎康(映像作家・詩人)
「イメージフォーラム付属映像研究所第十二期卒業展 裸でスタート」(「月刊イメージフォーラム」1989年6月号)より一部抜粋

 

大木裕之

1964年東京生まれ、高知在住。東京大学工学部建築学科卒業。卒業設計『松前君の日記帳』を発表し、イメージフォーラム附属映像研究所に入所。卒業制作で『松前君の映画』を発表して、映画と建築の因果、高知よさこい祭でチーム〈M・I〉率いて17年目の今年は「あいちトリエンナーレ」と同時発表。
  

上映日

東京:5/3 19:00, 5/5 13:00 プログラム V10
京都:5/20 13:45 プログラム V10

 
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