プログラム

ニューフィルム・ジャパン【日本招待部門】

映像の新しさと創造性を獲得するために

前田真二郎の『日々”hibi”AUG[2008-2015]《天皇考》』では、市販のヒト型ロボットが昭和天皇による玉音放送を音読する場面があり、続けて人工知能が人類の知能を超えてしまう「2045年問題」に言及。佐藤義尚がPCの画面をひとつずつキャプチャーしアニメートした『Finder』は作家の驚異的な手作業の成果だが、アイコンやウィンドウの自由自在な動きに圧倒され、PCが自分で映像作品を作り出しているのではないかとさえ錯覚するほどだ。
「デジタル化」という技術的革新を経た現在、新しい映像とは何だろうか。高精細化が進む映像の解像度への関心は、テクノロジーの発展を目指す探究心の源であることは歴史が語ることであり、その道筋はさらに極められていくことだろう。しかし、同時に歴史は、一方向に流れる大量消費の映画史、映像史とは別のページを割いている。その精神は現在も生き続け、映像作家たちは、猛烈なスピードで進化するテクノロジーへの盲目的追従に陥らないためにあえて立ち止まって思考する。
映画が誕生したリュミエールの時代にまで戻り、ワンショット、無音で作品を制作した中島崇は、その制作意図を「映画の単純な構造にひとまず戻ることは、未来の斬新なレベルを獲得するにあたって決して無益ではないと確信する」と述べている。七里圭もまた、現在当然のように一体となっている映像とサウンドの関係を、映画史を辿ることで検証している。
福島原発事故への警鐘を、辻直之はアンデルセンの童話「雪の女王」に見出し、新作『カケラ』を発表。木炭で描いては消すことを繰り返す、その独特のアニメーションのゆっくりとした動きは、映像も文明も進歩することで置き去りにされる精神の重要性を省みることを促すかのようだ。
IFF初登場となる山城知佳子は、これまで様々な手法を用いて自身の出身地である沖縄をテーマに作品を作り続けて来た気鋭の作家だ。『創造の発端 ―アブダクション/子供―』はダンサー川口隆夫が大野一雄を「再現」するプロセスに密着することで、沖縄戦の体験を如何に伝えるのかという自身のテーマの糸口を探っている。
日本の実験映画を牽引し、一貫して個人で映像を作る意味を問い続けるかわなかのぶひろが近年取り組み続けているのは、若い世代にその歴史の遺産を引き渡すことのように思える。『寺山修司を揺り起こせ!』は、人工知能では決して描けない、人と人との結びつきがあって結実した作品。日本の表現史に名を残す”大いなる質問”寺山修司を私たちに伝えてくれるはずだ。
 

 
 
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