絶対的な禅
煙突のように
ボーダーレス
アンロック
プレット
パンダイ・ブシ:雨よ怒るな
選ばれた世代
Iqra
中心なき周縁
ゴトット・プラコサは、インドネシアの映画産業のメインストリームになることのなかった80年代の映像作品たちを「周縁」作品という造語でカテゴライズした。この“周縁映画”の多くは長編映画よりも短い尺で、16ミリまたは8ミリフィルムで撮影されている。しかし、それらの作品はメジャーな映画館や配給の型にはまらないため、スクリーンで上映されることがなかった。それゆえ、映像作家達は自ら発表の場を作り出すことになる。驚くべきことに、これらの映像作家は自分たちを周縁の存在とは思っていなかった。それは同じマーケットで競っていなかったからであり、そして彼らにとって“周縁”は分類のひとつに過ぎなかったのだ。彼らの作品やその上映場所は、映画というものの認識に問いを投げていたが、それまで言われていた映画とは映画(製作と素材の)産業、興行、政府が規定する、産業的・技術的な考え方でしかなかったのだ。この運動は、その後「周縁」映画がどのように語られるかにも影響を与えた。産業や組織のしがらみがなかったため、彼らの作品においては直線的なナラティブが唯一の語りの手法はではなかった。しかし、ゴトットがその世代のキー・パーソンとなったのは、リニアな話法を使った映画づくりを遥かに超えることができたからだ。ゴトットの実験映画の中で代表的なのは短編アニメーション作品であった。アニメーションの形、線、そして色で現実を再構築する可能性を追求していた。しかし、彼自身はアニメーション作家と呼ばれることを拒んでいる。ゴトット・プラコサの全作品を観ていると、それらが本当に手描きであったかどうかわからないだろう。アニメーション作品は映画館の堅苦しさから映画を解放する試みであったと、2003年に行ったフィルム・パフォーマンスの後のQ&Aでゴトットは語った。俳優や演出やドラマツルギーがなくても、一連の光と音のプロジェクションはそれでもなお、暗い部屋において映画的な存在なのだと主張していたのだ。ゴトットがインドネシアの実験映画製作におけるアニメーションの活用法を開拓してから20年後に、新たな現代アニメーションがインドネシアのミレニアル世代から生まれた。デジタル技術による民主化と、第三世界的海賊版市場が過去の映画を参照する道を開いた。これらの若い世代にとっては、発表の場や作品の認知度はもはや問題ではないのだ。なぜなら、彼らが活躍できるニッチなマーケットが今やあまりにたくさんあるのだから。しかし、本当にインドネシアにはアニメーションという形式の確立された場があるのだろうか? 今日のインドネシアのメインストリームのアニメーションとは何かを考えるとき、アメリカ、西欧、日本(そしてその他の東アジアの国々)と同じ(工業的な)基準ではかることはできない。未だに、インドネシアの商業的なアニメーションは人気チャンネルのキッチュなものとはほど遠い。たくさんのインドネシアのアニメーション映画が流通し上映されているのは、映画祭である。早い話が、アニメーション・フェスティバルは市場志向型のお祭りで、アニメーション作品が上映され、マンガやゲーム、コスプレと共にステージに上がる場所なのだ。このような広げ方によって、より幅広い観客(とスポンサーに)を取り込むことを狙っている。いずれにせよ、フェスティバルが市場の入り口としての機能だとするならば、インドネシアのアニメーション作品は、産業としてのメインストリームの地位を確立した市場にはまだ出てきていない。エコ・ヌグロホや、トロマラマ、ナスターシャ・アビゲイル、ウーラン・スーヌーといった名前は上記のような現代のアニメーション・フェスティバル・シーンには出てこない。それは、彼らはアニメーション作家ではないし、いつもアニメーション作品を作っているわけでもないからだ。基本的に、彼らはパペット・アーティスト、ミュージシャン、イラストレーター、あるいはメディア・アーティストとして活動しており、その芸術表現のひとつの形式として映像を用いている。また、発表場所としても、より多様な場を持っている。エコやトロマラマの作品は映画館ではなくホワイト・キューブ(展示)で発表されているし、ナスターシャ・アビゲイルやアリエール・ビクターの作品はコンピューター・ウイルスやオンラインのプラットフォームを使っている。彼らの作品は、インドネシアのアニメーション作家がやってきた、従来の映像の常識や伝統的なナレーションの手法に則っていない。商業的なシーンや映画館のスクリーンのスタンダードに追随しようとはしていないのだ。彼らがゴトットの定義したカテゴリーに入っている主だった理由のひとつは、インドネシアのメジャーなアニメーションの人々から外れているからだ。ゴトットとこれらのミレニアル世代の若者たちには共通点がある。それは、彼らの作品がメインストリームのアニメーションから周縁に追いやられたことは一度もないということだ。彼らの作品は、一般的な映画館、あるいはいまだ確立されていないアニメーションのメインストリームに対して周縁であるだけだ。
リスキー・ラズアルディ
プログラム協力:ラボ・ラバラバ
「ANIME-ASEAN」特別プログラム2は、インドネシアのアニメーションにフォーカス。知られざる巨匠ゴトット・プラコサの成果と現代インドネシアの若き才能を、プラコサの残したキーワード「周縁」をテーマに一挙に紹介。講演では、プラコサ作品のアーカイヴィングも手掛けるアーティストが、現在のインドネシアの映像実践の実情を伝える。
プログラム・キュレーション:リスキー・ラズアルディ(アーティスト、ラボ・ラバ・ラバ メンバー)。
絶対的な禅 ゴトット・プラコサ/16ミリ(デジタル上映)/10分/1983(インドネシア)
Non KB ゴトット・プラコサ/16ミリ(デジタル上映)/2分/1978(インドネシア)
自画像 ゴトット・プラコサ/16ミリ(デジタル上映)/3分/1982(インドネシア)
ブガワン・チプトニン ゴトット・プラコサ/16ミリ(デジタル上映)/5分/1976-2008年(インドネシア)
クビス(フィリップ・グラスのために) ゴトット・プラコサ/16ミリ(デジタル上映)/3分/1978年(インドネシア)
煙突のように エコ・ヌグロホ/デジタル/2分/2002年(インドネシア)
ボーダーレス トロマラマ/デジタル/2分/2010年(インドネシア)
アンロック ウーラン・スーヌー/デジタル/5分/2012年(インドネシア)
プレット フィルマン・ウィディヤスマラ/2014年/デジタル/4分(インドネシア)
パンダイ・ブシ: 雨よ怒るな ナスターシャ・アビゲイル/デジタル/4分/2016年(インドネシア)
選ばれた世代 アリエール・ビクター/デジタル/4分/2016年(インドネシア)
Iqra アリ・サトリア・ダルマ/デジタル/3分/2005年(インドネシア)
講演: 中心なき周縁 インドネシアの映像の現在におけるアニメーション実践(約70分)
講演者: リスキー・ラズアルディ
※日本語逐次通訳